役所に提出した「紙切れ一枚」の件

この件に関してはいろいろと書きたいことはあるのだけれども、とりいそぎは告知・報告代わりに。

この連休に、役所に「紙切れ一枚」を提出し、法律婚をしました。同日引越しをして同居もスタートいたしました。

諸事情絡まって当初の予定よりも数カ月早く行動に移すことになったので、できるだけ個別にご報告したいと思っておりましたが、これを読んで「何だそれ初耳!!」となった方、申し訳ございません。ちなみに、急ではありますが「授かり婚」系統ではありません。

相手は…一度も変わっていませんので、私が今まで「彼氏」「交際相手」と表現したことのある人間です。6年近く付き合っていた同い年の人です。

みんな読んで

この方のツイッターを面白いな、勉強になるなと思ってフォローしてしばらくになる。たぶん、私がほしいなと思っている、年齢や人生ステップの近すぎず遠すぎずな先輩で、リアルな声を発信してくれるので、余計。
その人の、ああなるほどと思った記事。おじさんたちの無償の愛というのもなるほど。
書評を見たことがあって、ああ読もうかどうかと頭に引っかかってた本の著者でもある人。

最近分かったこと

  • 最近年取ったと思うこと

自分より年下の人間が「年食ったなあ」などと言ってるとムカつくこと、私はまだまだ若年層に属すること、からすると、私が「年食った」などと言っていても面白くないことも承知だが、前にも書いたとおり、1年に1歳年を食うペースは同じわけで、その年齢なりに年食った実感はあるわけです。

  1. 中学生と高校生の区別がつかなくなった

っていうか、さらにいうなれば「どうでもよくなった」。いいじゃん「中高生」で、みたいな感じ。しかし、東京の中高生はマセてて区別がつかないというならまだしも、先日地元の電車で「中学生の集団がいる」と思って見ていたら、カバン(部活で統一されてるやつ)に高校名が書いてあってビビった。

  1. 流行は繰り返すことが体感として分かった

カチューシャとか、キュロットとか、スパッツ(このたびはトレンカとかレギンスと言いますが)、どうやら私が小学生くらいの頃に流行っていたものが再び流行っている印象。キュロットって便利で私はその昔愛用してたのですが、いつの間には「キュロットなんてダサい」という認識が広まってはかなくなっていたのに…復活してるじゃん!!

  • 「おれのもの」とストイックなロールプレイ

先日の「私の履歴書」特集の中で書こうと思っていたネタだが、あれを書いてからピンと来たことがある。おおおと思っていたら、今月の人(日本画家の小泉淳作さん)がズバリなことを書いてくれるので、まるで当てつけみたいになってしまうのを一瞬懸念したけれどもやっぱり書く(以上、無駄な前置き)。
私はかねてから、「私の履歴書」的な人々が、「ああ世の中にあんな人がいるなんて、この人と一緒に生きていけるなんてどんなに幸せか」みたいなウブなことを書きながらも、結婚するやいなや、次の日(履歴書の)から時々極貧生活につき落としたりして平気なのを不思議に思っていた。親や周りに言われるままに結婚しただけの相手ならば、「好きで結婚したんじゃないんだし〜」と相手に対する気づかいがなくても(多少どうかと思うが)まだ分かる。頑張ってもどうやっても貧しいというなら分かる。しかし、「なけなしの給料飲んじゃった(でもボクは苦悩してるんだ、毎日大変なんだ)」とか意味分からんだろお前!惚れて、時には猛アタックして恋愛関係になった相手に、なんでそんな扱いぞんざいなの?!挙句に「このころ○子は本当に大変だったと思う。迷惑かけた」など50年も60年もたった後にしれっと書いてくる。なんで、そんなことして平気なの??
しかし、これに対する答えもやっぱり「おれのもの」だったのだ。きっと。そう考えると理解できる。惚れた相手も結婚してしまえば「おれのもの」。だからおれの足りないところを補うことなどあたりまえ(金がない時はいかにしても工面して生活を維持する、金があるときはうまいこと使ってこれまた体面を維持した生活をする)、仕事や創作活動の苦難、困難を理解しできる限り助けるのもあたりまえ。もちろん愛してるよ、おれのものだから。ときたもんだ。
ちなみに今の新聞小説等伯』の主人公も結構こんな感じでしばしば朝からむかむかするのであります(笑)ただ、この小説の歴史展開や絵のところは面白い。誤解されると困りますが、だれも「おれのもの」なんて言葉使いません。私の脳内変換を行うと「おれのもの」ってことか、ということです。等伯さんは、妻に「母」も「女」も求める典型的なボクちゃん。病気になると妻がいなくなったらボクどうやって生きていけばいいの…と思って急に献身的に良き夫になりますが、要するにてめえの心配をしているだけと私には見受けられます。
話を戻して。これに付き添う女性側も、今の私の感覚からすると正直理解不能に感じられるのですが、これもきっと「ロールプレイ」していたのだと思うとちょっと納得。相手が好きかどうかとかいうんじゃなくて、「良き妻」「良き母」を全うしたいというロールプレイ意識で動いていたに違いない。だから、もともとが優秀な人が「○○の妻」をやるなんてもったいない、とぱっと見には思う事例はたくさんあるけれども、「○○の妻」にはストイックにやるべきことが山のようにあるので、きっとやりがい盛りだくさんで頑張れたに違いない。
これを思いついたのは世代間ギャップをネタにしたテレビ番組(意外とテレビからネタ拾ってるなあ私)、半年くらい前にやっていたもの。「今どきの若者は、デートの中身を事前準備しない」に対して、40代60代(たぶん)チームは猛反発。「ネタ仕込むどころか下見もしたぞ!それが当たり前だった」、「本当はこれがやりたいわけじゃないんだけどと思っても、準備してくれたんだなあと思うのがうれしい」等。そうかそうなのか、「女の子はこういうことを喜ぶに違いない」と「“女の子は(以下同)”と思って用意してくれたんだから喜ばなきゃ」という、「男ってこういうもの」「女ってこういうもの」のロープレ。この人たちに「コミュニケーション」の概念はなく「こういうもの」だけで生活してきたのだ、とまで言うと結論付けすぎだけれども。国民総ロープレで高婚姻率を達成してきた世代はすごいなあ。…と思ったけど、40代のバブル世代は婚姻率そこまで高くなかったはずなのでちょっと違うか。

宝塚の話をしたい

とりあえず見て、いろいろな人から感想を聞きたい動画。できるだけ、何も知らずに見たらどう思うかを知りたい…と思う一方で、これだけは言いたくなっちゃうのだが、ここに出ているタカラジェンヌの少なくとも男役は、ジェンヌの中で特に歌が上手いといわれているわけではない。
あー宝塚やっぱ癒される。お腹すいてるだけかと思ったが、どうやら意外と疲れているらしい。くそ債券の利回りめ…@証券アナリスト勉強中。
あと『宝塚ファンの社会学』の話も。『上野千鶴子に挑む』で「宝塚ファン」と書かれてた人がいたなあ、一応名前メモっとこ(軽く親近感♪)と思っていた著者のこんな本が、メモったその日に新聞の書評欄に載るとは…というわけで翌日さっそく本屋に向かって一気読み。ふーんふーん。

夏休みの終わり

今年の私の夏季休暇は今日でおしまい。今回は6月ごろ急に会社が「全員必ず7日以上連続の夏季休暇を取得すること」などと言い出したので、9月ごろに分散して取ろうと思っていた私の当初計画は大きく崩され、この時期に1週間まるっと休暇を取ることになった。
1週間、家や実家でのらくら暮らしてもいいのだが(勉強するともっといいのだが)、どうにも損した感じがする→旅行に行こう→急だし短め・近めの海外にでも行こう→やっぱり旅は道連れ→急に盆でもない日を空けられる友人などそうそういない→母親だ!(かくして母娘で旅行ってパターンが世間にはあふれているのねと納得)。旅行のアレンジはさして得意ではないし、日本語・英語圏外なので、宿・食事・観光案内コミコミのパックツアーに決定。
高層ビルや都会よりも歴史系&比較的人が行かないところ(たとえば韓国に比べて)という意見が一致して北京へ。旅行代金は一人4万円切って、オプションや保険料入れても5万円切って、飛行機・ホテル(自力ではいかないいいところ、グレートウォールシェラトン)・食事・観光案内全部ついてって、すごい価格設定だなあと心底思う。
非常に充実、満足できた旅行だった。
旅行や休み中に思ったネタ。

  • 言語習得

ガイドさん、中国人の店員さんの日本語のうまさが半端ではなかった。ゼロスタートの言語を勉強して1年で観光案内ができるか?という話。

  • 北京の街

規模が大きい。片側5,6車線の道路、立ち並ぶ高層ビルにマンション、広場や公園の大きさ(これは歴史的なものだろうが)。
暑いと上半身を脱いでいるおっさん多数。謎なのはTシャツをまくって腹を出して歩くおっさん(こちらも多数。涼しいのかそれで)。ゴミはポイポイ捨てられているが掃除している人もたくさんいて特に汚いとは感じなかった。ぶつかってもまったく気にしない人が多い。「すみません」の発達したヨーロッパ系文化圏には大変な驚きではないだろうか。

実家の新聞を読むとものすごくたるくなっているように感じたのだが、この間ずっと朝日で継続購読している人はどのように感じているのでしょうか?昨日あたりの天声人語では中国の列車事故に対して「それみたことか」とだけ言っているようでビックリしたのですが…こんなこというコラムだっけな。死者が結構出ている事故に対して哀悼もせず、痛ましいというニュアンスもなく?(前日にしているのかもしれないが)

公モードと私モードと言ってもよい。サラリーマン化が進む私はケアワーク的なおしゃべりが苦手になっているという認識。よって仕事世界に生きる夫と家庭世界に生きる妻とのコミュニケーションの断絶をしみじみと感じる。

  • 光陰矢のごとし

もちろんまだまだ若い世代なのだけど、20代が「年取ったなー」とか言っても面白くもなんともないのもわかるのだけど、それでも毎年1年確実に年をとっているわけです。早いなー。
以下は本のメモ

章ごとの著者にもよるし、前提知識にもよるのだが…率直な感想としては全体的に読みにくかった。ただでさえ私にはなかった、論文(アカデミー業界の文章)を読む力の衰えとか、「分かりやすく」「一言で言うと何なの?」を追及されることの方が多い会社で考え方が出てしまうところとか、いろいろあるとは思うが、でもやっぱり分かりにくかった。

女の35歳が「下の子が小学校に上がり、暇ができてどうしようか迷う年齢」ってところに時代の変化を感じずにいられようか。

  • 藻谷浩介『デフレの正体』

日本の人口ピラミッドよく見ろよ(特に経済・政治畑の人)、という話なのですが勉強になった。しょっぱなから愛知県の写真が出てきてビビった。

とりかえず羽生さんがまだ40歳だというのに驚く(40歳の節目で書いたものだそうな)。それから博識でさまざまなジャンルの本を読んだりしているのだろうなと思う。本の中身は、少なくとも特に羽生さんを知らない人間にとっては、ビジネス書の恒例ネタをきれいに拾った感じで、特におお!というところはなかった。
ところで大局観っていうのは、メジャーな言葉ではないのでしょうか?父が趣味で碁をやっていたためか、「大局観が大事だぞ」というのは父のプチお説教?のネタの一つだったので、ごく普通の単語として私は小さいころから耳になじんでましたが。

読んでなかった自分に驚いた。結婚の分析に「階級」の概念を使う人(山田昌弘小倉千加子)は少数だというのにも驚いた。そうなのか、少数派の方を私は先に読んでいたのか。確かに、白書書くときの調査では階級はタブーだと言われたって、小倉千加子『結婚の条件』に書いてあったもんな。

私の履歴書

という名物コラム?が日経新聞にある。各界の著名人が月替わりで担当、自分のこれまでを語るというやつ。人によっては数か月経つと「○○が語る半生!」みたいなキャッチで本になって出てきたりもします。これがなかなか面白い&読みやすい位置を占めているためにけっこう読んでいます。
日経を購読するようになって4年3カ月ほど、ということはすでに約50人分の「偉人伝」を読んでいる計算ということで、これは継続の力、月極め購読の新聞の力恐るべし。(ただし、何がどうしてとも言い難いが妙に興味がわかない、読む気のしない人がいて、少なくみても5、6人はまともに目を通していない。)

さて何が面白いのかというと…

  • 普通に

ふむふむこの人こういう人だったんだ〜とか、こんな人生があるのか、とか。素直に読める。仕掛けてくる人?だと、その日の最後の一文に「しかし、事態は急転する」とか書いて、ベタな手だと思いつつも気になるので、翌日いの一番に読んでしまったりする。

  • 総体として表れる「人生すごろく」っぷり

編集・校正の手によるものか、「みんなそうだから」と書き手が自主的にそう書いてしまうのか、はたまた本当に人生をそう認識しているのかよく分からないが、これがまた見事に「型」ができているのだ。統計はとってないので(誰かとってないのかな)、あくまでも私の印象ながら。
初回はあいさつ・総論、2〜7日目くらいが「そもそも我が家は〜」と出自説明と幼少期や小中高あたり、10日前後で大学入学と就職を終えて社会人スタート、中旬までには恋愛・結婚・子どもネタを0.5〜1回差し込み、逆境やらピンチやらにもまれつつも乗り越えて、29日あたりに現在に追いつき、育った子どもの自慢(今は○○で活躍中)をさらっとはさんで、最終日には「いやあこれからも頑張ります」、と締めくくる。黄金パターン。
サラリーマン系の人は、その時は面白いかなーと思っていても、パターンへのハマり度高いせいか、はっきり言って記憶に残っていない。一方、ぶっちぎった人として記憶にあるのは(名前は忘れたけど…)、戦中世代の人で、戦時の南方での物品調達の話等が長く、20日過ぎても30代くらいだったか?果たしてこの人は月内にしめくくれるのかと勝手に心配になった。この世代の人にとってはこれこそが若い時の、かつ強烈な記憶なのだとも思った。

  • その他(ネタ、エピソード)

天然なのか、なにか恐れているのか毒にも薬にもならないことばかりを書いてた女優さん(名前忘れた。扇千景ではない)もいる一方で、不倫ネタ大暴露した有馬稲子など。あれって私が知らないだけで有名な話だったのかと思っていたけど、このとき初めての大暴露だったんですね。安藤忠雄は「阪神大震災のときには略奪は一切起こらなかった」みたいなことを書いていて、個人的にひいた(何を根拠に…あなたは神ですか?)。
で、ここへきてやっと、今回書きたかったことにたどりつく。今月の小田島雄志(東大名誉教授)、15日付「路傍の花一輪摘み即答」そう、恋愛結婚ネタの回。今まで「(名字)さん」と書いてあったのが、プロポーズ受諾の次の文章から「(名前)」に変わるのである。しかも律儀にも「(名前)(とここから急に日記の中の呼び名が(名字)さんから変わった)」と書いてあるのだ。すごい!!プロポーズ受諾されたらすぐさま呼び捨てにできちゃう、この安直な、「おれのもの」的な感じがたまりません。
その前の週あたりに読んでいた、春日キスヨ『家族の条件』(岩波現代文庫)の中で、「男は女房と自分は一心同体だと思いたい」「心配りしなければならないなんて思いつかないくらい、自分と同じだと思ってる」というのを読んで、マジ勘弁だわ…とげんなりしていたところだったので、ああ、これがとりあえずはソフトにこういう風(そっこー呼び捨てw)に現れるのか!と思った次第であります。
まあ「ネタ」とか書いちゃいましたが、家族・配偶者の扱いが適当な感じが透けて見える人って、私はそれだけで「所詮はオヤジか」って見てしまうけどね。

読んだ本

おせっかいの布教好きなので、人に本を貸すのが比較的好きなのだが、「貸して!」って言われた場合以外(つまりは「こういう本があるよ、貸してあげるよ!と私が勝手に押し付けた場合なのだが)、人に本を貸すのはやめよう、と思った今日この頃。

そういえば暦を変えたって話、歴史で習ったような気がするなあ(ただ記憶にあるのは世界史・中国の文化史の授時暦かな)。という程度の歴史認識だが、面白かった。
以下、ブックオフでぱーっと勢いで買ってサクッと読んだ新書。

このへんを読んで思ったことは、文体がその本なり著者なりのバックグラウンドをよくあらわすものだということ。『天地明察』は、ライトノベル出身の作者とのことで、たしかにそれっぽい文体がそこここにあって、好みかと言われれば好みではない(だが、ストーリーで十分に面白い)。経済小説系の本もそういうのが多く、もはやストーリーだけのための小説なんだなと私には思えるものもある。
ビジネス畑の著者だと(『不機嫌な職場』がここでいうとそう)、分かりやすいが分かりやす過ぎるとでもいうのか、ちょっとアカデミックな単語を知ったもんだから嬉々として使ってる感が否めない。逆にアカデミック系では、文章の安定感はあるが「中身ねえじゃねえか!」なものも見受けられる(深さ的には証券会社の新人か、みたいな企業研究に出くわしたり)。
『ウチのシステムは〜』は、かなり内輪ネタ・楽屋落ちで、私が「新書」に求める水準からみれば「軽い」。正直言えば、業界人のブログででも読めれば素直になるほどとなっただろうが、本として読むには物足りないという印象。でも、役に立てばよしと思えば十分。「システム」が完全にブラックボックスになってしまっている私の頭の構造からすれば有益な話。
結論、昔と比べれば多少なりとも本に対して雑食になったのであり、それゆえに違いが分かってきた。
おいしい食パンを立て続けに食べたあと、一番安い食パンを一口かじった瞬間「まずっ!」と思った、という友人のように、違うものをいろいろ知らなければ、分からない。