妊娠をめぐる雑感3

  • 「育休」の浸透度

会社で「これで(お腹を指しながら)しばらくお休みをもらいます」と話したら、「3か月くらい?」と返されたことがある。「あ、いえ、産休育休合わせて1年半くらいです」「え?そんなに?」(そんなに休むのかよという意味ではなく、単純に知らなくて驚いた様子)。まったく別々に2人、一人は子持ちパパ(配偶者は専業主婦)、一人は独身男性。ああ、育休という制度は私が思っているほど浸透していないのだなあと思った。自分が使う予定の全くない制度への興味なんてそんなものだろうし、産前産後休暇だけならば3か月、というか4か月くらいなのでまあおおよそ間違ってない。そんなに?という感覚は、一労働者としては共感できる、だって1週間の夏季休暇でヤッホー!という世界なのだから、何か月、1年という単位の「休暇」って「…あるんだ」と思う。実際に私も思った。一人でのんびり過ごせる産前休暇が長いので余計に。
しかし、一社員としては「1年もの休業」だが、子どもという点ではたった1年、たった1歳。そのうちの一人(独身男性の方)とは「そうそう、1年も休めるんだって思うんだけど、それでもやっと1歳だから、歩けるか歩けないかくらいでしょ〜」と話したら「ああ、そうですよね。それくらいの姪っ子いますけど、まだまだ小さいですもん」と言っていた。
たぶん、こういう大人/会社の世界と子どもの世界とのギャップとの闘いは、よりハードになって続いていくのだろうと思った。

  • 「外野の声」は選り好みして聞く

どんな時でもそうなのだろうが、育児していく上ではより大事になりそうなスキルだと思っているのでメモっておく。なんだか外野の声が大きそうな世界なので。自分にとって助けになる、参考になると思えば聞けばいい、でもそれ以外のものはズバズバ切り落としておくのが自分の精神衛生によさそうだ。「外野の声」はしょせん「声」に過ぎず、自分を助けてくれるわけではない。
とはいえ、それができるときというのはある程度上手くいっている時で、上手くいかないときや気が弱っているときにそういう「魔の声」が忍び寄るものだと思う。だから、いろんな声が聞こえて気になってきたら、外野の声にすがるより先に「今自分で何がダメだと思ってるんだろう」と考えられるように…と思ってメモ。

  • 「外野の声」サンプル

そんなこと(要するに、「どーでもいい話は聞き捨てよう」)を思ったのは、「おれの育児苦労話」を聞かされたからである。子どもが病気になったときに3日間寝ずの看病した、あの時は大変だった、という30年くらい前の話。もちろん今の私は、1時間の病児看護だってしたことないので、本当はこんなことをいう資格はないのだろうが、それでも敢えて言えばたぶん、その類の「ピンポイントで大変だった」ことが本当に一番大変だったと思って話す人は、育児参加度が低い。
私が聞いた話、読んだ話を総合し、想像するに、育児の一番の大変さは「24時間365日張りついていること」にある。たとえ全く自分に落ち度がないことであっても「何かあってはいけない」と思う緊張感とか、すべての行動の前提に子どもを考えておかなければいけないこととか。例えて言えば「社員を路頭に迷わすわけにはいかない」と思っている経営者の立場の苦労だと思う。肉体的・瞬間的な大変さで言えば、膨大な仕事に追われる社員の方がきっときつい。でもこれはその瞬間さえ乗り切れば終わり、そのうち休暇を取ってリフレッシュすればいい。実際には、経営者としての心労と、社員として「馬車馬のごとく働く」の苦労を両方同時に味わうのだろうから、やっぱり大変そうだなあ…と思う。
というわけで、社員の大変さしか味わってなさそうな人ですらこんなに語りだすということは、いわんや…である。ひとつひとつ「お説拝聴」していられる余裕はたぶんないなあ、と思った次第。