支え

「誰かのために何かをすることが心の支えになる、生きるよすがになる」には、うんそうだなとうなずける。
しかし、「私に食事を作ることが妻にとって最大の誇りであったと思われる」のように言われると、ううぅぅう〜ん?となるのはなぜだろう。そして、そのほかの部分が配偶者・パートナーを失った悲しみに満ちていて沈痛な思いにさせられ、上のような記述にも「自惚れを覚悟で」のような留保がついていようとも、ものすごく男権的に聞こえてしまうのは(今日の日経新聞文化欄、歌人河野裕子を悼む歌人・学者永田和宏の文章「後の日々」について)
もちろん一つには、本人が「私にとってはこうだ」と語ることと、他者が「こうであったはずだ」と語るという差は大きい。
「食事」という、一般的な性役割分担意識によれば、女性に分類される仕事のせいか。自分が調子が悪くて食べられなくても配偶者には必ずご飯を用意するほど、食事作りに“執着”させたものは何なのか?
「男って馬鹿」と女が言うとき、それは男の生も性も引き受けることを意味する。「女って馬鹿」と男が言うとき、それは愛というアメさえ与えておけば生も性も面倒見てくれるということを意味する(小倉千加子『セックス神話解体新書』)を思い出させるような、執着だからだろうか。
それとも「対幻想」だろうか。
とりあえず、今回の文章を批判したいのではありません。この手の違和感をいまだに説明できない残念さ。河野裕子といえば「たとへば君ガサッと落ち葉をすくうやうに私をさらっていってはくれぬか」などを思い出す。
金曜よりくしゃみと鼻水が改善しない。だいたい、のど痛い・関節痛い〜熱で1日半と鼻水大放出1日→収まりかけ1日→ほぼよくなって1日、くらいが私の風邪のパターンなのに、三日間も症状が固定するのはかなり珍しい。健康体なのでちょっとでもどこかが悪いととにかく人に訴えたくなる。口で息するとのど痛いし唇荒れるし。しかして何度測っても熱は最高36.2℃(低体温人間)。会社に箱ティッシュ持っていかなくては。