少子

先日たまたま酒井順子の『少子』をパラッと読みなおし(帯のキャッチフレーズは「痛いから産みたくありません」)、また先日お邪魔した赤ちゃんの出産時の話で「ふだんの彼女からはおよそ想像できない様子だった」(夫の証言)、「痛かった。付き添った母親は、この子は狂ったのか?はたまた医療過誤か??と思ったらしい」(ご本人の証言)などと聞いて「やっぱり死ぬほど痛いのか…」と思っていた今日この頃。
そういう考えがベースにあると、野田聖子議員の妊娠にはびっくりする。卵子提供を受けての体外受精で、DNAとしては本人の子どもではない。ということは、1年弱お腹に入れて出産するというイベントをどうしても通過したいと思った、ということなのか。そうなのか。出産時には50歳で。「親子」であることのよすがを、何に求めるかはいろいろあると思うが(遺伝子とか、出産とか、育成とか)なんで好き好んで、あんな恐怖のイベントをどうしても体験したかったんだろう、と若干腰が引けたこと思った。
が、もう少し考えてみると「パートナーの子どもを産みたい」っていう可能性もあるな。代理母はいやだとすると卵子をもらって自分で産むしかないという発想。
げっすごいな…とは思ったけど、別にそんなことすべきじゃないとかなんとかは思わないし、とりあえず母子の健康を祈ります。
しかし世の中はいろんなことを要求してくるものだ、とこのごろ思う。子どもを産み育てよ、ワークライフバランスをとれ、と言ってみたり、内向き志向にならず海外に飛び出していけ!大丈夫か日本の若者!とか。両立しねえよ、それ!(別に同じ人が言ってるわけじゃないんだろうけど)。定時の6時に帰れたとしても子どもにとっては遅いのに、だいたい6時に帰れる保証ないじゃん。これで子どもって育てられるのか、辞めるつもりなんかないんだけど。とずっと忙しい部署にいる後輩とのおしゃべり。
海外行きたい!と本当に躊躇なく言えるのは、連れていくor置いていく家族がいないor考慮しないからだろう。海外赴任したい若者が減った、とこのごろ新聞にアンケート結果が載っていたが、それでも半分くらい。けっこういるじゃん、と私は思ったのだがそんなことはないのか?
それとも、海外留学・海外赴任をガツガツこなしてビジネスをやる層と、まったりワークライフバランスをとりながら地域社会で生きる層とは別ってことなのか。
はー、人生一回じゃ足んねえなあ、と思う。でも一回しかないから、なにがしかを選択し、または起こってしまったことは受け入れなければならない。