支配もしくは生活の糧

生活の糧、食いぶち、もしくは支配について。
お金(経済力)に裏打ちされた今の自由が好き、とどこかで書いたと思うが、それは「親の支配から夫の支配へ」と同じように考えれば、いわば「親の支配から会社の支配へ」の状態である。
私が夫中心の専業主婦の生活を「げっ、ありえねー」と思うのと同じくらい、「ちぇっ、気がつけばここんとこ毎日12時間以上会社にいるじゃんよ…」という生活を向こうも「ありえない・・・」と思っているのかもしれない。と思うと、必要以上に理解不能な他者と思う必要はないんだな、と思える。
ただし、夫の愛情もしくは扶養義務よりも、稼いだお金の方が汎用性・自由度が高いことや、家事労働についての性役割分担意識という問題などはありますが。そしてこれが重要なわけですが。
会社の同期(人事部)に貸そうと思って久しぶりに『迷走する両立支援』を手に取り、パラッとめくると書き出しからぐったり疲れそうな事例で思わず閉じてしまったところです。うーん、何この重さ。。。
先日、先輩の家に赤ちゃん(4か月)に会いにお邪魔しました。超かわいい♪身内でもないのにメロメロでした(笑)赤ちゃんって誰でも好きなものだと昔の私はナイーブにも考えてましたが、実は私の方がかなり赤ちゃん・小さい子ども好きの部類に入るらしい。いろいろ表情が出てきて、でもまだそんなには動けない(でもキックやパンチには意外な威力)という4カ月の赤ちゃんなんかもう何時間でも眺めてられる勢いでかわいい。そんな家庭訪問をすると、こういう風に身近に子どもを産んで育ててる人を見るのが一番、子ども産んでもいいかもって思えるなあ、と思う。両立支援が迷走しているのは困ったことだけれども。理屈こね始めたら産めない、って本当だなと思う。
話は変わって。先日法学部の若手OB会@東京(就職担当の先生主催)があり、法学部報(法学部の社内報、と言いかけてなんか変だなと思った)と学生向けパンフレット*1をもらった。在学中は、この法学部報なんかを読んでも「きれいごと」と思い、こんなこと(国際交流とか)しているのごくごく一部だけだよ、などと思って全然実態を表していないものとみなしていた。しかし、こうして離れてから読んでみると「ああ、こんないい大学だったんだなあ」と思い、このパンフレットがリアルに思えてまぶしく、もったいないことをした気がしてくる。私はここにいたのに、何も知らずにいろんな機会を逃してしまった…と。しかし思いはするのだけど、無駄な後悔をしてはいけない、とも思う。当時の私には、見えていなかった。視界に入っても思考回路まで届かなかった。そういうことは多々ある。大きい本屋に行くにつけ、この広がりを学生時代に知っていれば…と一瞬思ってしまう。でも違うのだ、本当に知らなかったわけじゃない。大学の図書館もあった、名古屋にも大きい本屋はあった、でも私は知ろうとしなかったし生かそうとしなかった。今だからようやく見えるようになっただけだと思っている。

最近思うことの羅列。

  • 加齢臭対策のせっけんの広告

どこらへんに感動もしくは納得すればいいのか分からない某広告(新聞一面サイズ)をよく見かけるのだが、あれはいったいどう考えればいいのか。こんな中身のない広告を出し続けられるほど儲かってるのか。もしくはターゲット層(中年男性だと思うが)にはヒットしている広告なのか。

  • お供え物

悲しい事件が起きると、事故現場にはお供え物が山と積まれ、その映像がニュースで流れる。お供え物をしたい気持ちは、すごくよく分かる。こないだの大阪の2児ネグレクト死事件なんて、新聞で読んだだけでも本当にぞっとする。でも、あのお供え物は誰がいつどうやって片付けるのだろう、と思ってしまう。事件が事件だから、ペットボトルとかお菓子・食べ物が多くたむけられていたように見えたが、あれは誰がどうしろというのだろう。その場所にいる遺族なんて逮捕された母親しかいないのではないか。大家さんが片付けるのか。まだしも花であれば、枯れた時に捨てるのに抵抗は少なかろうが、食品は?これが例えば交通事故死した場合であれば、仏壇にでも供えた後に遺族が食べることができるだろうが、今回は?食べるのも捨てるのもしがたいもののように思うが…。

*1:ちなみにそれぞれに友達が寄稿していた。蒲鉾論は傑作!