あてにならない

あてにすべきは記憶ではなく記録、みたいなことを言うが、自分の書いた文章でもあてにはならないものだ。書きたかった内容と、読み取れる内容の乖離。あとからの勝手な意味づけ。
まあそれでもいいや、と思えたのは、先日の「困ること」というエントリ。あれは田村先生からの前向きなコメントによって自分の中でもプラスの日記に変化したのだが、もともとは「困ること」に困らされてもんもんとして、もう寝た方がいい時間なのにとても布団に入る気がせず、なんとか文章で吐き出すことによって気を鎮めようと書いたものだった。「大丈夫、私にはセックスと宝塚がある」と自分に言い聞かせてただけ。

「あなたが何と言おうと、私は心身ともに美しい」

デスパレートな妻たち」という不本意ながら軽くハマった(笑)アメリカドラマに出てきた一言。身勝手な母親に散々振り回された娘が、母親に抑圧されないようセラピストからの助言でいくつかこうした自分を励ます言葉を書いたカードを持って、姉と母親の面倒の押し付け合いの喧嘩をするシーン。もともとかなりコメディタッチのシーンで、この妹もこいつはこいつでイッちゃってるな〜という感じのするおかしいシーンで、さすがアメリカ、精神科が発達してんのかな〜なんて最初は笑って見ていたが、意外と観終わった後も頭に残った。
ああこれ。この自己肯定感、自己承認、私は大丈夫だっていう感覚を、人間は、私は必要としているんだなと思った。