たのしいどくしょ 

金子雅臣 『壊れる男たち―セクハラはなぜ繰り返されるのか―』岩波新書 2006年

全体として、セクハラの「かゆいところに手が届く」本。「社会人」になる「前」にぜひ一読を! (ゼミML読書紹介文より 勝手に引用してスミマセン

先生からこういう薦めがあったので読んでみた。あと「ジェンダーと法」の講義の先週のテーマがセクハラだったのもあって。
一読して。・・・気分悪ッ!!気持ち悪いっ!!!もう、なんだこれはーーーー!!!!いやあもうちょっと正直キツいわ。憤死できるかもしれない。私この著者の職業*1についたら憤死できる気がしてきた。セクハラオヤジに裁きを!!思わず、こいつらを全員を極刑に!とかキーボードが滑りそうになるじゃないか。むかつきのあまり。というわけでここで鬱憤晴らしの書き込みを始めたわけです、ぜーはー。ああ健康に悪い。精神衛生にも悪い。いくらそういう風に書いてあるからってねえ*2、それにしたってねえ、・・・悪寒がする。
しかしまあ私がこんなところでぎゃあぎゃあわめいてスッキリしたところで、というか例え憤死してみたところでセクハラ問題の解決には屁の役にも立たない、むしろうるさくて迷惑なだけだ。問題を整理して、この本について考えて書いて、そしてこれを読んだ誰か一人でもセクハラ問題について考えてくれたらちょっとは意味があったのかもねと密かに喜んでもいいかもしれない、というくらいだろうか。エネルギーは有効に、建設的に使おう。資源の有効活用。
というわけでもうちょっと冷静に読んでみよう。
私にとっての本書での一番の収穫は、「セクハラ加害者はこんなことを言うんだ、するんだ!」ということを知ったことである。かなり具体的な職場でのセクハラ4例が書かれているが、どのケースでも加害男性*3は自分の優位な立場を考慮せず、「男女の駆け引き」とか「恋愛」としてものごとを考えている。また被害女性側のノーサインを徹底して受け取れない。というのは「いやだ」と言おうともそれは「女性ははっきりOKは出さないもの」「ただじらしてるだけ」などと思い込むという荒技を使って、すべて自分の都合のいいように解釈する。ステレオタイプな都合のいいオンナ像を揺るぎない確信で信じていて、自分の欲望・願望を満たすのによいストーリーを作り出す。行政機関に告発されて「なぜそんなことされなきゃいけないんだ」と逆ギレする・・・・などなど。
で、そういうのはさすが「現場の力」という感じでとてもよい。だが私にはなんだかとてもこの著者の分析がじれったい。正直言って「かゆいところに手が届く」感がしない。加害男性を被害女性と話し合える次元に連れて行くことさえできない(むしろそれが最難関なくらいだ)、というのが著者の本音と思われるので、解決策を示すなどしてチャンチャン♪と終わるなんてできないのは、分かる。一つくらいはうまく和解・解決したケースを載せて読者を安心させたって意味ないし(だいたいそんなケースがあるのか、というか解決ってなんだ)。
なんだろう。この不完全燃焼感は(というより無駄にファイアーしてしまった・・・紙やガスがブワァっと燃え上がっただけで炎はたちまち消える空しい感じ)。この問題を解くのに有効なキーワードであるジェンダーが最後の2ページになってようやく出てくるところなんかだろうか。なにか、もっと言葉や論理はすごい力を発揮できるはずだ!!と思った。もしかしたら、新書だし具体的な例での問題提起を目的としているせいかも。あと、できるだけ男性にも手にとって読んでもらえるように、とか。タイトルからしても「おれって、男って、やばいかも…」と思っている男性を狙ってるんじゃないか、などと類推してみたり。そのへんは、『裁かれる男たち―セクハラ告発の行方』でも読んで判断するとしよう。
「“する男”と“しない男”の違い」を考える一番の動機が、結局「男、男と(こんなやつらと一緒に)一括りにすんな!」であるように感じられ、上滑りしている感がある。もちろん正当な主張なんですが。分類・区別する意味は?教育もしくはカウンセリングに役立てるとか?
それから「男というものは、すべからく差別的であり、セクハラ体質を持っていて、そうした区分は意味がない」(p.184)という言い方をする「フェミニストを中心とする人たち」って、誰だよ。ちゃんとソース出せ〜!それは間違っている、と私は思う。生物学的に人類ヒト科オスに分類される生命体が本質的に全員そうなわけなかろう。せいぜい、これまでの歴史的文脈やら環境やらのせいで多くの男がそういう体質になっていて、まるで男の「本質」と見まがうばかりである、という話。
それから「セクハラする男・しない男の区分」と「最近男が壊れはじめた」(←著者の実感)とは別の話だと思うのだが、さきの184ページでもきっちり論じ分けられてない感がある。

・・・書評を簡潔に的確に書くことの難しさを思い知りました。今日のところは力尽きる。

あー。口直しに上野千鶴子『生き延びるための思想』岩波書店2006年の残りでも読むか。ここの1章、去年ゼミで読んだ論文だったんだ〜。

*1:東京都の労働関係の相談員、そこでセクハラ相談を受けていた

*2:全体として、このセクハラ問題を問題として理解できない困った加害男性をどうしたらいいのか、というトーンで書いてある

*3:セクハラは「加害男性・被害女性」という図式で起こるとは限らないことは著者も当然認識の上である。ただし量的には「強い立場にいる加害男性・弱い立場にいる被害女性」が圧倒的のようだ。