音の風景、というNHKラジオの番組がある。川のせせらぎだったり、市場の声だったり、冬の朝だったり、いろいろな音をリクエストに答えて流す番組。どこかで、この番組で振り子時計の音を聞いた時、懐かしさで不覚にも涙が出た、という文章を読んだ。そんなことを思い出す。
音、というものの記憶はまたすごい。言葉ではなかなか呼び覚ますことができない感覚を一気によみがえらせたりする。ドキッとする音。ぎょっとする音。あの、あの雰囲気。
尾崎の「学校の窓を割る」や「盗んだバイク」につき、私はどう思うか?*1
遵法精神満々の若者、と言われれば私もそうなのかもしれない。だって、私は窓ガラスを片付ける人やバイクを盗まれて困る人を考えずにはいられない(どちらも反抗すべき「権威」ではあるまい)。
それに…反抗して、それで?と思っているのかな。どうせ馴れ合ってるんだろう、馴れ合ってくんだろうこれからも。そんなふうに世の中をなめていたとも言えるかもしれない。「ココを守っておけば、お互い干渉ナシね」「余計なことは、省こうよ」と、私は適当に課題をこなし、生徒指導のチェックの入るような服装もしなかった。反抗心、なかったわけじゃない、と思いたい。いろいろあほくさかった。管理教育万歳のこの地域。ここらへんの中学生男子の頭が全員丸刈りだったのは、20年も前の話じゃありません。中学の時、部活の大会にお菓子を持っていったらド叱られたというのは、きっと人にはありえない話に違いない。さらにいうなればスポーツドリンク禁止で水筒の中身はお茶であった。まるで戦時中でも思い返している人みたいなことを言うが、異常な世界であろうともそれしか知らないとそう思えないのです。
なんか情けない結論だな・・・。

*1:尾崎豊の歌を聞いて、「窓ガラスを割るなんて犯罪だと思う」と言う学生さんを例に挙げ、「権力とか決められたことに対する反抗心が、若い人のなかで減っているんですよね。意味もなく暴れたり抵抗したりするのもどうかとは思いますが。」という香山さんの発言、どう思いますか?という先生の問題提起を受けて(無断引用すみません…)