道を歩く

私の「彼氏」なる人物は、並んで道を歩く時には車道側を選んで歩く。
というような事態が起こっているとき非常に“フェミニン”な(笑)私はどのような行動を取るかは、それなりに人の興味を引くのではないかと考える私は自意識過剰です。ここで私が思うのは二つ。
①彼はどこでこのような振る舞いを学んだのか 
②私は彼のそうした形で表される好意をそのまま受け取ってよいものか
①まず、車道側を歩くのは、車道側の方がより危険だから、私には安全な歩道側を譲ってくれているということだろう。これは「常識」なんですか?!…と書いて思ったが、確かに私でも小さな子どもの手を引いていたらそうするなぁ。やっぱり常識かな、車道側の方が危ないというのは。そうだとして、「エスコート・マナー」的な行動としてとることは「常識」なのか?というのも私の頭にはまったくこういう行動という選択肢がなかったため。要するに素直に驚いたのです。へ?そんな考えが世の中にあったとは!と。それは私個人の情報アンテナがおかしいのか、彼がおかしいのか(ごめん 笑)、それともやっぱりここにもジェンダーが潜んでいるのか?!
②という話は置いておいても、さて私はどうするべきか?とりあえず、私はたぶん人よりも車道側を歩くことが好きではない。一人で歩いたら、平均よりも道の端を歩いているのではないかと思う。だから単純に言えば車道側を歩いてもらうのは結構うれしい。
だがしかし、車道側の危険とは車にはねられる危険であり、その危険度に私と彼の間に差はない。これが例えば、車道側の危険は引ったくりの危険であり、ひったくりは女性をよりよく狙うというのであれば、まだ分かる。車道側を歩いてもらうことは合理的なように思う。でも車がぶつかられたらどちらも同じくらい危ない(というかむしろ彼の方が危ないんじゃないかとさえ思う、私は「鉄製」だけれども 笑)。にもかかわらず車道側を歩いてもらうということは、「車にはねられるなら、あなたから」と言っているのと同意ではないか。私は確かに我が身がかわいいけども、さすがにこんなことを堂々と表明するほど図々しくはおれない。
・・・というようなことにささやかに苦悩するのは私の「習慣」。
もう一つ、「習慣」3年目。友人二人と祖父へ、誕生日おめでとう。