げにや年を経て

さて、まともに更新できないまま、「後で書きます」と言ったもろもろも下書きフォルダに眠ったまま、また別のものを書きだすという消化不良パターン。
このごろ、「人間て変わるんだな〜」と思うことと「人間て変わらないんだな〜」と思うことと両方あって、どちらもいい意味のときもよくない意味のときもある。「人間も人生もいろいろだよね」と言ってしまえばそれまでなのだが、一つ一つの出来事や人を見ていると、ふうん、と結構胸に感じることがある。
ただ思うのは、方向性だけは間違ってはいけないということ。小さな角度や方向性の差が、年を経るごとに大きな大きな差となっていくのだとこのごろ感じる。そんなことは昔から「ちりも積もれば山となる、毎日の努力の差が結果の違いを生む」とかなんとかたくさん学校で聞いたような気もするが。
こんな例えしか出てこないのは我ながら遺憾ではあるが、y=-x+4とy=2x、x=1やx=2なら差は無いか小さいが、それがx=5、x=10となってくると二つのyの差は埋めがたい。会社人生も5年目が半分以上終わったこのごろ、ここからさらに5年後10年後に、自分や同期入社や周りの人たちはどうなっているのだろうと思う。私のy=ax+bのaは、間違ってはいない方向で、プラスであると思いたい。
あとはただ、人のよいところは真似、悪いところは「人のふり見てわがふり直せ」とだけ思いたいものだ。
さらに言えば、自分は平行線かもしくは「平均」のところにいると思っていて、つまり客観性を持っているように勘違いしていて、傾きaがマイナス(と見ゆる)人を見ては憐れみ見下しまたはなんとかしたいと思い、傾きaが大きな人を見ては焦ったりうらやんだりしている、そんな感じ。