ついに、ようやく、あっとらすと

インターネットが開通した!!ああ、得も言われず快適!!!
・・・・と言うほどでもないんですが、でもやっぱりこう、使い慣れたマイパソコンでネットができるのはいいですね。お気に入りに登録されていたところをのぞきに行ったり。ブログを見に行って友人が元気そうだ、とか。
ところでメールはどうしたらいいんだろう。

せっかくなので、就職以来なんとなく時々心に浮かんでいたことを書く。
「キャリア・ウーマン」といえば聞こえはいいが、要するに単なる「サラリーマン」。「サラリー・ウーマン」か。うかうかしているとオヤジ化が進む。危ない。仕事して、仕事が残ってれば残業に抵抗感はなく、疲れて家に帰ってとりあえず食べて寝る。ああ、うちにかわいいヨメさんでもいてくれればなあ、とか思い始める・・・いや、さすがにここまで荒れてませんけど(笑)。でもこういう道をたどってしまいそうな地点にいるような気がする。
「キャリア・ウーマン」って言葉のイメージはかっこいいけど、いまいちなあ。なんで男(サラリーマン)と同じ形態で雇用されているだけですごくかっこいいことになるんだ?はあ?「すごいねえ」とか言われても訳わかんねーよ、「なんで」って言われても答えはないんだよ。
もっとも、本当にかっこよく働けばそれでいいんですが、それはなかなか大変なんだろうなと思い始めた今日この頃。会社の日常に飼いならされてしまいそうな危険を感じる。
「オヤジ」化だけはするな自分!!!

もうひとつ。あくまで私が聞いて感じた範囲内で、と限定するが。将来について考えるときのこの男女間の差はなんとかならないものなのか。自分の幸せに資するかを考える前に「結婚」と「出産」を自分の人生において通らなければならないポイントにして、一生懸命計算する女性たち。そんな女性から見るとありえないほど、結婚と子どもについて何も考えていない、従って「アホ」か「子ども」に見えてしまう男性たち。彼らには「考えていない」という認識すらないようだ。きっと天から結婚相手と子どもが降ってきて、まあ幸せに暮らせるだろうと考えているのだろう、と思えてしまうほどだ(笑)
しかし、もう少し考えると、女性陣は何にそんなに駆り立てられているのかというと、「身体的」とか「医学的」とか「生物学的」とか、もしくは「キャリア形成上」とか、要するに「早く産んだ方がいい」という各方面からのプレッシャーである。他方男性はその手の「期限」はまだ迫ってこない。私と友人がまったく同じ言葉で表したように、「20、30代はさんざん好き勝手暮らしても、40代になってから“やっぱ子ども欲しいなー”と思ったら、少し若い女を捕まえて産んでもらえばいい」(我ながらまったくもってオヤジくさい発言だ・・・)。そう考えると、人間我が身に迫った危険については考える、そうじゃなければ考えない、ってだけの問題なのだろうか、と思った。いいなあ、「生物としてのリミット」があと10年は長いのか。うらやましい話だ。
もっとも、いまや「40代でも産める」と言われる時代。それでも「20代の方がいい」というトク(?)、ラク(?)、リスクの少ない道を採らなくてはと思ってしまうところが、こういう女性の弱いところなのかも。
昨日NHKでやっていた中国の一人っ子世代の結婚問題を取り上げた番組は面白かった。爆笑しながら見た。NHKが筋書き通りにしゃべらせているのではないかと思うほど、みんなみんな分かりやすい話に沿ったことを言っていた。みんな『結婚の条件』の通りのことを言っていた。出会い系サイトのオフ会(親用)が北京では行われているらしい(子どもの結婚相手を探す親が、自分の子と相手の条件を書いた札を持って公園に集って情報交換をするらしい)。思うんだけど、親主導のお見合いって、子どもに向かって「一生この相手とだけセックスをしろ」と言うってことだと思うと相当キモチワルイ。とまたうがった見方をする。