悪い夢

気がつくと、自分の前に道がひとつしかない。きりきり、きりきりといやな音を聞きながらその道を進み続ける。振り返ると、実は私の歩いてきた道には本当はたくさんの分かれ道があって、違う道も会ったことが分かる。そんなはずはなかったのに、、いや、なぜその時の私には見えなかったのだろう。今から考えれば、あまりにも当たり前のことなのに、なぜ分からなかったんだろう…?そして相変わらず目の前には一本道。
なぜ?への答えは簡単だ。見ようとしなかったから。見ようとしなければ見えないものは本当に多い。簡単に、見えているつもり、考えているつもりになれてしまうのが厄介だ。最初から選択肢として捉えていないまま「考える」ことに、意味なんかないのに。
見ようとしなければ、見えない。見るのが怖ければ、逃げるなら、相変わらず目の前にある綱を渡り続けるしかない。
「お金を出すか、暴行を受けるか」という状況を解決するにはどうすればいいか?答えは(はぐらかしのようだが)「そういう状態に陥らないこと」だ。法哲学の講義によれば*1。状況を変えること、違う選択肢を作れる状況にすること、パイを大きくすることなくして、解決はありえない。法哲学講義で今のところ私が得た最大の収穫はこれだ。そうか、そうだったのか。閉塞空間を作ってはいけないんだ。「他に選択肢はない」という状況そのものがいけなかったんだ。
他の選択肢を見るためには?Knowledge does pay.…という言葉があるのか正しいのか知らないけど、最近とてもそう思う*2。Crime do not pay.の逆で、知識こそ役に立つのだ、一番効率よくものごとを済ませるのを可能にするのは、正しい知識なんだ!と。
ただ、知識は、勝手には入ってきてくれない。その知識が欲しいと思わなければ、知識の存在すら見えない。欲張りは悪いというけれど、欲は必要だ。欲がないというのは美しいように見えて、実は閉塞的な状況を作り出す第一歩だ。欲をなくしていくと、生きる気力も失せていく。もっと欲張らなくてはいけない。
夢を見た、その次に、何ができるかが、問題なのだろう。

*1:いじめ教室でいじめっ子を助けていじめられるか、傍観するかという状況をどうすればいいのか?という問題設定でしたが

*2:ただしそのきっかけたるや真にあほらしいもので…。あるときよく知らない場所を電車代を浮かせようと少し遠くの駅を目指して歩きました。前日にチラッと見た地図の記憶だけを頼りに。線路にぶつかったのち駅と反対の向きに歩き出し、歩けど歩けど駅はなく、雨の降る夕方で人気もなくて…と散々でした。そして、ああ、ものごとを安上がりに済ませるために必要なのは、知識だ!と悟りを開いたのであります