学校の中

最近自殺のニュースがよく取り上げられている。小中高生のいじめを苦にというのと、おじさんのと。マスコミによく取り上げられるからといって実際に自殺が増えているかは分からないが、とにかく何かの対策が必要だろうとは私は思っている。自殺対策基本法とかいうのが最近成立したらしいし、これから状況は変わるのだろうか。
さて、いじめ問題について。「普通の社会ならば犯罪になることが、学校の中では『いじめ』という言葉で処理されている」という意見をラジオで聞いた。たしかにそうだろうな、傷害罪、窃盗罪、器物破損罪、恐喝罪・・・。これを聞いて私が思い出したのは「スケバン刑事」。
同世代で原作を読んだ人は少ないと思われるので、ちょっと前置き。というかとにかくイメージ先行で「セーラー服でヨーヨーを持った女子高生のヘンな話」みたいに捉えられているような気がするのが、原作は結構シリアスだ。警察マークの付いたヨーヨーで決めポーズ!のイメージも強いらしいが、著者の文庫版あとがきによれば原作では1回しか(単行本20数巻ある長編で)そんなシーンはやってないのに、ドラマでよくやっていたために有名になってしまったらしい。たしかに「そんな馬鹿な!」という展開だらけだし、作者が長編に弱いのかストーリーやキャラ設定がどんどん矛盾していったりするが、人間の孤独や母への葛藤が下地になっていたりして、とにかくまじめに読んで面白い。
それで、なぜスケバン刑事なのかというと。警視庁がスケバン刑事を作った理由はたしかこんなだったのだ。「学校というものは一つの社会であり、その中の出来事は外部にいる警察・大人ではどうしても分からない、見抜けない。だからその学校社会での事件を解決するために、生徒としてその中に入れる人間が必要」。簡単に言えばスパイというところか。かくして麻宮サキは高校生でありながら刑事になることになったのだ。
これはもういよいよ、「スケバン刑事」登場の時代かなあ〜などと思っていたら。夕方のニュースで韓国では「スクールポリス」なるものが存在するというではないか。警察OBと生徒の保護者が休み時間などに校内をパトロールするというものらしい。身体的暴力のような分かりやすいいじめは減るだろうなと思う。そこから先は・・・分からない。パトロールの死角を突くことなど簡単なのだから。
それにしても韓国の教育事情(というよりも中流以上の受験ヒートアップ現象だけで、韓国の教育界全体の問題は知らないが)を聞くと「うわー、いじめとかいろいろ問題起きそう」と思うのは、それはそれで差別なのかしら。少なくとも短絡的思考かな?どうでもいいけど生活能力のないマザコンっ子にはするなよ、、と思う。あと世界が自分中心に回るという錯覚に陥らないように。案外人間って簡単に陥る気がするのだ、「受験のため」とあれば何でもやってもらえる生活を送っていると(自戒を込めて)。果たして何が当然自分ですべきことであり、何が人にやってもらってもOKなことなのかは、人によって大きく違うけれども、どのへんが今この現代において健全なんでしょう。