「英語」考

「英語と子どもが好きな人、募集中!」とて子ども英語塾の講師を募る英会話教室がある。まあ、もっともなというか非常にストレートな文句なわけだが、しかし。「英語が好き」とはどういうことなのだろう。
例えば言語オタクや言語学者で、いろんな言語を知ってる・使える上で、しかし私は数ある言語の中でも英語が好きだ!というなら分かる。音の響きが好きとか、ジェンダー*1がないのが好きとか、理由は何でも構わないけれど。とにかく数あるなかで私はこれが一番好き、というのはただの趣味の問題。
しかしそういういう人はそんなにたくさんはいないだろう、ってか絶対少数派だろう。英語塾講師を募集する側もそんな人を想定してはいまい。私は英語の、こういう文法構成をとっているところが好きで・・・なんて面接で語る人は、いないだろう。と私は想像する。
次に考えられるのは、英語という科目が好きだ、ということだ。実際私も英語という科目なら好きだ。好きだった、と言わねばなるまい。「英語」という科目があるのは高校までなのだから(大学でも実質同じようなのがあるけど、一応高校と大学の英語科目の目的は異なると解釈する)。
何が好きだったのかというと究極いい点が取れたという理由に尽きる気もするが、好きだった。満点というのはやっぱり爽快なので、満点の取りやすいマークテストのためにずいぶんと執念深い勉強をしていたものだ(笑)。もう少しかっこよさげな理由もつけると、日本語とは違う思考枠組みを知るのが楽しかった。例えば「おはよう」は‘Good morning’だが、この二つは≒ではあるが=ではない。日本語はもとは相手の早起きをほめるのが語源(と私は解釈している)だし、英語は「よい朝ですね」と素敵な朝の共有の言葉だ。他にも「頑張れ」と‘Take it easy!’とか、親でも友達でもいっしょくたにheとかsheとかあっさり言えるところとか。それでいて人の性別ははっきり言わずにはおれないところとか。そういう考え方もあるんだ、へえ〜と。それから「赤毛のアン」「若草物語」系の英米(少女)文学が好きだったので、原書を読めるかもと思うのも励みだった(読んでないけど)。
という感じで高校の英語の勉強は好きだったが、文学部に行って英語の勉強をしたいか、と考えてそうは思えなかったから法学部にいる。後付けの理屈だが、私が面白いなあと思っていたのは英語が独自に持っているものではなくて、いろんな思考枠組みがあることを知ること、だったのだろう。まあともかく大学以降英語が勉強したいとなればそれは言語学を専攻したいということになる。それ以外の分野では、基本的に英語は道具だ。論文を読んだり書いたりするための。「英語を使って何がしたい」が問題なのだ。英語という科目は中高にしか存在しないのだ。
「英語が好きな人」は英語という科目が好きな人だろうか。でも社会人になって未だに英語という科目が好きってのはどんなもんだろう。何で好きなんだ。英語を話せてたらそれで幸せなのか?英語人口を増やせたら達成感を覚えるのか?
と考えるうちに、「英語が話せる」ということに対するステイタス感とか自己満足が好きなのではないか、と思った。別に役に立ちはしないのに、使いはしないのに、でもやっぱり英語話せるのってかっこいい。ってな人がいるから、英語塾ってあんなに盛んなのかな。そして「英語が好きです」と講師に応募する人の「好き」って、そしてその塾に子どもを通わせる親の英語観ってそういうのかなあ。
と結局のところ、「英語英語ってそんなに特別視するんじゃねえよ」という枠組みにはまった文章になりました。

*1:ジェンダーってもともとはこういう意味なんだよね〜。古い英和辞典でgender(×jender)と引けば、文法上の性としかついてないはず