子ども

私は小さな子どもが好きだ!とここでも何度か書いてきたと思う。「子ども好き」は非常に理解されやすく理解されにくい好みである。子ども好き同士では「私、小さい子好き!」「私もっ!」で済む。理由は要らない。しかし子ども好きではない人には「私、小さい子好き!」「へえ、なんで?」「・・・だって…かわいいし!」の先が続かない。せいぜい、「子ども好き」は一般的に褒められる気質、少なくとも便利な気質としての優越性をタテにごまかすので精一杯だ。
別に人の好き嫌いは究極的には理由はないのだから、理由の追及や説明など無駄、といってしまえばそれまでなのだが、私は自分でもなんでいつからそんなに小さい子好きになったのか?と最近思うようになった。私、そんなにちっちゃい子好きだったっけか??
かわいい、はとにかく思う。歩けるようになったばかりくらいの子がとことこ歩いて訳が分かるような分からないようなおしゃべりをしたり、または赤ちゃんが目をぱちくりさせてて、にこにこっと笑ったりしてると「キャー」と叫びたいくらいかわいい(笑)「ごきげんさんねぇ」と声をかけたくなる。ものをちゃんとしゃべれるくらいの子(幼稚園児、小学校低学年とか)でも、そのおしゃべりを聞いているとその訳の分からなさ、発想力に感動する。
と、自分で書いていて思うのは、①私も年を食ったからこんなことを思うのではないか(オバちゃん化の進行) ②小さい子の厄介なところを忘れているからではないか の2点だ。
①も嫌だが・・・でもこれは、大学1年のときは「まだ18歳ですよ、当たり前じゃないですかぁ〜」なんて言ってたのが3年にもなると「げっ、あんたたちまだティーンズなのぉ!」と叫ぶようになるのと同じ心理だと思えばまあ、いいのかしら。②、我が家に幼児がいた頃の混乱の記憶が薄れ、大げさに言えば小さい子を「神聖視」しているかもしれないと思うと、気をつけたほうがいい気がする。幼児がその家にいると、実際のところ生活は様変わりする。物の配置も具体的に変わる。危ないものは上の方に、でも落ちてこないように。小さいものと穴は要注意、幼児は物を詰めるのが大好きだ。ビーズがあれば鼻の穴に入れる、ミニカーをビデオデッキに突っ込む。コンセントも危険。ティッシュを出しまくるのは基本中の基本。トイレットペーパーも然り。洟はたらすわよだれは出すわ、というわけで抱っこをしていると肩のところが汚れる。泣くしうるさいし、さらにはおまるは居間においてあったりする(布オムツはほとんど使われなくなったと聞くが、おまるは今でも使う、よね?)
とまあこんなことを思い出すと多少げんなりするわけだが、それでもとなりの赤ちゃんだったり、電車でたまたま一緒になっただけのちっちゃい子ならば、かわいいと思うことに全然変わりはないのでした。
最近ご近所に小さな子が来ていてよく声が聞こえるので、ふと思ったこと。