フェミのイメージ

※書くうちにちょっと攻撃的になってきたので(むしろ投げやり)始めに注意書き。特定個人を想定して攻撃するものではありません。念頭にあるのはこちらも「保守系オヤジ」の「イメージ」に過ぎないのです。
フェミニスト」のイメージからすると「子どもが好き」は意外らしい。そうなのか!私はフェミニズムも大好きだが子どももかなり好きだ。私の中では何の矛盾もないのだが、「フェミニストサッチャー」の方を先に知った人は「え?子ども好きなんだ?」と思うらしい。私はそれを聞いて逆に「え、意外なの?!」と思う。
ちっちゃい子、好きです。ディズニーには「きゃあ♪」と言えない私だが、赤ちゃんに向かっては「あーかわいいっ!」とかなり無条件で言う。電車に乗るとき道を歩くとき、小さな子どもが周りにいないかどうかのチェックには余念がない(笑)すきあらば目を合わせて手を振る。反応してくれるとかなりうれしい。あーいいなあ赤ちゃん。子どもといってもやっぱり乳幼児が好きです、小学生とかよりは。
書き始めたときはただ単に「意外に思われたことが意外だった」という感想を述べるにとどまるつもりだったのだがもう一声。
そういう感想を持たれるということはつまり、「子どもが好き」は「女らしい」のカテゴリーに入ると言うことなのだろう。フェミニストとは「女らしくない、女らしさが嫌いな人」というイメージだろうと想像するに。手芸もそうだ。例えば私は編み物がわりと好きなのだが、それも「意外」に相違ない。母親なんかも同じことを言っている。手芸が好き、児童文学が好きというと「女らしい人ね」みたいに言われるのが心外であると。私のフェミの源流は母にある、と書いたことがあるかどうか忘れたが、実際そうで、母も本棚に平塚らいてうの本なんかがある人だ。手芸は好きだし、子どもも好きだが、だからと言って「女らしくて家庭的」で主婦に向いてる、主婦になりたいんでしょうなんて言われて「え?」と思ったと。
○○が好き、××が得意、と「女らしい」「男らしい」が自動的に結び付けられる。この例をとってもフェミニストとは男だ女だと言うことにこだわる人ではない、男だ女だとこだわる社会にこだわってしまう人だ、ということが言えるのではないか。だから、子ども好きなのと「女らしい」と関係ないじゃんよ!と私は思う。性別なんかどうでもいい、というか頭の片隅にもなく子どもが好きって言ってるのに、急にそこに「女」が絡められる。こだわってるのは、そっちじゃん!
けれども「男or女らしい」と思う側にとっては、それは「当たり前」で「自然」。というわけでフェミニストは「それがいかに当たり前・自然ではないか」ということを証明する必要に駆られて、あの手この手でそれを言おうとする。歴史を振り返ってみたり、社会を眺めてみたり。そうこうしていると、どうしても男だ女だ言わなくてはいけなくて、すると「どうしてそんなに性別にこだわるのか?不自然だ」なんて言われるハメになる。えええ?!もう、どーしろと・・・。
そんなふうに困らされている気がするのです。

「すべて汝の意思であることに間違いはないか?」この問いにどう答えよう。