ゼミの効果、か

「声」欄が読めねぇー!!!
「声」欄というのはアサヒ新聞の読者投稿欄です。どの新聞でもあるよね?他だとどんな名前だったかな〜。掲載されると図書券3000円分くらいもらえるという話を聞いたことあり。こづかい稼ぎにはいいかも、と思っていたこともある。(投稿してないけど)
私は新聞を読むときはだいたい一面見て裏返してテレビ欄見て、そこからめくって社会欄、地方版、家庭欄、声・オピニオン、2,3面をチラ見して社説や「ひと」がおもしろそうなら読む・・・というスタイルで10年近く読んでいる。この頃は頑張って経済欄も読もうとしている。
ところが最近はもう、声欄読んどれん!「ほのぼの系」の投稿…花が咲いてうれしいとか、小さな微笑ましい出来事とか…は、それを新聞に投稿してどうすんのと思わないでもないがそれでも私はそれはそれでまあいいかな、と思う。だがしかし。社会に物申す系のものは…なんじゃこのめちゃくちゃな理屈や意見は!ってのばっかり。いやそれ決め付けだから!何を根拠に?!とか、え?ちょっと待って結局何がいいたいの?!とか…。基本的に年代を問わず恐ろしいが、「若い世代」も恐ろしい。ハルカさん風に表現すれば「ドッカーン!」と叫びたくなったが我慢した、ってところです。
これもやっぱりゼミの効果かなあ、なんてふと思った。取り扱う話題そのもの、身に付いた知識そのもののおかげもあるとは思う。でも基本は「論理の組み立て」をしつこく追求した、少なくとも追及しようと努力することを推奨されたおかげ。かや〜?*1と思うのです。他の人はなんかこんなこと思わんや〜?*2まあ、今年も田村組、頑張りましょう!「田村組」が新生「TAMURA Group」に駆逐されないように(笑)
この「声」のことは同じ胎内出身の人物が前からよく言ってたことだが、私もこれを感じるようになった。ほう、ちょっとは成長したか、とでも言うかね。
さはいえど、人がどう思っているのかが分かるサンプルとして、私には「声」欄は貴重だ。なくせとは思わん。
そういえばこの頃のアサヒの家庭欄はちょっと変化していかにも女性・主婦の場所!って感じがなくなってきたと思うのだけどどうなんだろう。*3

*1:かな〜?

*2:思わない?

*3:よく見てみると「家庭」から「生活」へ変化していた