快挙

先日、私の母校が甲子園予選の決勝戦に進出したとの報を受けた。なんと。この学校はサッカー部が強かったが、野球部は特に強くなかったし(というか3回戦くらいまで出ればという雰囲気だった)、そうでなくとも愛知県で県立が奮闘すること自体もまれだし、たいそう興奮して会社でも盛んに話題にしたほどであった。もっとも、このことを知って3時間ほど後に、ネットで残念ながら中京大中京に負けたという結果を見た。残念。これは甲子園まで応援に行かねばと甲子園の日程も調べたのに。
この機会に高校時代のことを思い出していた。文字・文章的な記憶よりも、感覚的な記憶が多いことまたその鮮明なことに驚く。クスノキの葉のざわざわいう音とか、先生たちの口癖とか身振りとか、制服の着心地とか、校門から校舎へのほこりっぽい道とか。
この学校に行ったことを後悔はしていない。私の選択は正しかった。
なぜさしたる動機もなくさほど楽しくもなかったのに、どうして私はあんなに受験勉強に励めたのだろう、とは今でも疑問である。やっぱり、それが気持ち的に楽だったからかな。自分で納得せずに行動をするとそのツケは大きい。私はこの高校で、勤勉さの実践の仕方とその効用を我が身で体験し、習得することができていれば、もっともっと高校をありがたいと思っていただろう、と思う。そうか、それができていれば。
しかし、もし戻れるならばいつに戻りたいか、という問いに対し、私はいつに戻りたいとも思っていないことに気がついた。たしかにときどき、郷愁とか懐かしさとか同質的なものに囲まれていたい欲求とかにとらわれる時もあるが、戻りたいかというと必ずしもそうではない。私の人生は改善の方向に向かっていることに気がついてよかった。その改善の主たる理由のわかりやすいところを挙げれば、自由。はっきり言えばお金であることに考えが至り、私も案外単純な人間であるなと思う。