春や昔の

今日は寝覚めからしてさわやかだった。昨晩は顔すらまともに洗わずに寝てしまったのにもかかわらず、だ。カーテンを開ければよい天気。素晴らしい。私は天気のいい土曜日が一番好きな日だ。
いろいろするうちに、陽気に誘われ散歩をしようという気になった。近所のふだん通らない、まだ行ったことのない道をふらつくだけのつもりだったが、駅のそばまで歩いたときにふいに思いつき、聖蹟桜ヶ丘に行くことにした。
こちら(関東)に来たら行こうと思っていたのにまだ行っていない場所の一つ、「耳をすませば」のモデル地。もっとも「耳すま」は結局のところ私や家族のお気に入りリストに入らなかったので、もう何年も見ていない。とはいえ、今日の気分としては「見晴らしのいい高いところに行って、今年最後の桜が見えればいいな」だったし、「いいぞ、一回行っとけよ!」と会社の先輩に言われていたのも思いだす。思い立ったが吉日、行きゃ分かるだろう、ととりあえず行ってみた。
聖蹟桜ヶ丘の駅の少し前で向かいに座っていた男子高校生が「ここあれでしょ、耳をすませばの」と言っていた。あー間違ってなくてよかった、と思う(笑)。そんなレベル、下調べゼロ。
駅を降りて最初はどっち方面に行けばそうなのか、丘というか高台というか山が視界に入らず不安に思う。しかししばらく歩くうちに見当がつく&ネット検索すればよいことに気づき、軌道修正。その後は順調だった。
耳をすませばロケ地紹介HPを見ていたのだが、ほとんどのシーンを覚えていなかったことに気づく。HP見て思い出した場所がほとんど。
桜はかなり散っていて、枝は芽が出始めたのと軸が多く残って目立つのとで、遠目にはあまり美しくなくなっていた。しかし風が吹くたびに花びらが舞い散って、花びらがはらはら舞う様は遠くから見ても自分がその中にいても美しかった。電車内も含め川を何度も見たが、水面を花びらが埋めているのもよかったし、道路に落ちた花びらが風や車の通った後に舞い上げられるのもきれいだった。高台からの眺めもよかった。
関係ないけれども驚いたのは、大変に街中の地図が充実しており、住宅地なのに困らなかったこと。というよりも住宅地だからこそ充実しているのか、「丁目」レベルで住人の名字まで書いた詳細な住宅地図がそこここに掲示されており、しかも半年前現在のものという新しいものであった。すごいな。ユニット回りしやすそうだ(と職業的なことを思う)。
映画を見た当時、私はかなり雫に自己投影していたが、今はそうは思ってないな、と思う。半ばは当たり前だけど、もう中学生時代から10年経っている。私は世間知らずな、狭い世界しか知らない中学生だったな、とだいたい自分の過去を振り返るときには、懐かしい中に必ず苦々しさとそれでも自分をかばいたい気持ちとを一緒に感じる。
ともあれ、今日は日差しを浴び、体を動かし、行きたいところに行き、心地よく疲労できたよい一日となった。