ちりとて(ネタバレ注意)

昨日BSの土曜日まとめ放送で最終週分を見た。ラストには違和感。「お母ちゃんみたいになりたくない!」と言って小浜の実家から大阪に飛び出して落語家をめざし実際になったが、この度の最後に「やっと分かった。お母ちゃんみたいになりたいんや」と落語家をやめ、おかみさんになるという。この土曜まとめ放送にたまたま当たったときくらいしか見ていなかったのだが、たまたまこの「お母ちゃんみたいになりたくない!」の回も見ていて、「おおー言うなあ、NHKすごいなあ」と思っていた(しかし今になって考えれば、こんな怖いセリフを言いっぱなしで終わるはずもなく、このラストは十分読めるものだったかも。ついでながら、このときの母親役の和久井映見の無言の困惑の表情と口元のわずかな痙攣が印象的だった)。
違和感は、職業捨てるなよ!というシンプルな反発ではなくて、「お母ちゃんみたい」って結局どういうことか、なにかごっちゃになっているのではないかという点。
いわゆる天然ボケのお母さんは面白いキャラで私も結構好きだったのだが、ヒロインがその決断を下すまでの回想シーンを見ていると、「お母ちゃんみたい」というのは、母糸子さんの天真爛漫で天然で、そして周囲を明るくする生き方に、糸子さんそのものにあこがれたということで、「母親」という役割を引き受けたいということとは違うのではないか。ヒロインにとっては「糸子さんみたいになる」ことは落語家でありつづけることであったかもしれないのに、落語家を辞める必然性はどこに?ちょうど妊娠していて、ちょうどおかみさん役をやってくれる人が家で必要とされていたから(かどうかは知らない)、もういっしょこたにして「お母ちゃんみたいになる!」で自らプレイヤーであることをやめ、母親になり、母親に例えられるおかみさんになることで一件落着!と強引にまとめているような印象を受けた。
ちらちら見てただけなので、この間の多くの逡巡、プロセスを知らないからそう思うのかな。落語家は辞めるべくして辞めたのかな。「Muss es sein? Es muss sein!1こうでなければならないのか?こうでなければならない!」それとも人生タイミングなんかしら。「Einmal ist keinmal. 一度は数のうちに入らない」選択ははてしなく軽く。
『存在の耐えられない軽さ』結局新しい方も買いました。いい感じのところと、そうでもないところとあります。訳注が付いた点は、知識不足の人間としてはありがたいことです。