就活の振り返り

とはいっても一体どこから始めたらよいのやら…なんと言っても今年中ずっとやっていたので。長い。ここは、思いつくままに書きなぐることにしましよう。後輩諸君、悪い見本だと思ってみるように。そしていつか困ったら参考にしてください。
それでもまずは、御礼から始めたい。就活の中で自分の今までを振りかえり、どんな出来事があって、どんな人と関わって…ということを考えたのだが、それにしてもずいぶんいろんな人にお世話になったものだと思ったものだ。就活に関して直接お世話になった人も、私の人格形成や何かを思うきっかけになってくれた人も。今よく会う人も、もうなかなか会う機会がない人も。
温かい放任主義でもって適当な沈黙を続けてくれた両親には特に感謝したい。1日中家でゴロゴロしていたり、突然明日大阪に行くと言い出してみたり、はたまたスーツやパンプスがほこりをかぶるほど長いこと就活を拒否していたりしたり、しかもなんとなく平然とのうのうと毎日を過ごしていたりという何を考えているのか分からない娘はさぞかし心配だったに違いないと思う。という感じで、みなさん本当にありがとうございました。
今の実感としては、正直なところまだピンと来ない。でも、部屋の一区画を占めるこのパンフレットの山をもう処分していいんだとか、就活メールを削除していいんだとか、いろんな楽しみを復活させていいんだと思うとじわじわとうれしい。当然、安心感もある。ピンと来ない理由の一つは、実は今年中やってたと考えて9ヶ月中最後の1ヶ月になって初めて本格的に興味を持った業界に決めたからでもあるかもしれない。実は私はずっと「メーカー志望」ということで就活をしていたのだが、決めたのは当初企業研究の対象にもしなかった金融系。今から振り返れば本当にアホとしか言いようがないのだが、なんというか、ええすみませんアホでした。この業界を見ると今までどうしてもつながらなかった私の言葉が、すすすっと不思議なくらい一本の線でつながったのです。やりたい、入って働きたい、とようやく思えました。
これもまた必要な道だった、終わりよければすべてよし、ときれいにくくってしまうには、あまりにもだらけていて、情けない生活を送り続けていました。バイトもせず6月半ばまではサークルにも行かず、講義にも出ず勉強もせず、なんら生産的活動を行っていない人間でした。
耐え難し金も時間も労力も人の想いもむさぼり食ふ我
これがまさにある時期の私の実感でした。いろんな人に励ましてもらい、アドバイスをもらい、助けてもらいながらそれをどぶに捨てるがごとき行動を取り続けていました。3月末に涙腺が崩壊してからは、本当に「箸が転がっても」というくらいよく泣きました。この1年とこれまでの21年間分と同じくらいの量に匹敵するのではないかというくらいでした。まあもとから泣き上戸の傾向はあったのですが・・・よもや電車や駅でも平気で泣くようになるとは思いませんでした。平気というよりは人目を気にしたところで泣き止めなかったので致し方なく。さらにはしょうもないきっかけで突然思考がヒートアップして泣けてくるので困りました。説明会中でもゼミ中でもぼけっと電車に乗っているときでも。
何かと悪循環の多い日々でした。泣いている暇があったらなんでも動けよ自分!と思ってみましたがあまり効果はない。おそらく泣くのは逃げで、泣いていると何も考えなくていいし時間もつぶれるし泣いちゃったものはしょうがないしといい訳が出来るからと無意識に考えて泣いているのではないか・・・などと分析していたのもよく考えれば無駄だった気もします。
何にどうしてそんなに打ちのめされていたのかというと、この半年間付き合い続けてきたこの「私」、多くの人が「サッチャーらしくない」と言ってくれるであろうこの人間は、私にとっては間違いなく私がよく知っている「私」だったからです。私にとって私らしいと思える私でした。辛かったのは、就活で自分らしさが出せないから、面接で私らしいところが出せないからではなく、そんなみんなが言ってくれるような「私らしい」ところなどないから、「本当の私」が出ているからこそ落ちているのだとしか思えなかったからでした。単純に言えば、完全に自分に自信をなくしました。そして、そもそも自信を持っていたのか、だとすればどうしてか、そんなものは間違いでないか、単なるプライドだろう・・・とますます希望のない方へない方へと思考を進めました。
(疲れて眠たい勢いで結構シリアスな感じに書きまくって朝読み直してちょっとびっくりだったがまあ続けよう…)
しかし、そうでありながら私はどこか決定的にのん気でもありした。元気でした、ずっと。考えることを拒否していたから、かもしれません。なにはともあれ少なくとも身体的には健康でした。規則正しい生活が保障された実家で、ともかく健康的な毎日を過ごしていました。起きて朝ご飯を食べ、ボケッとして昼ごはんを食べ、ごろっとしておやつを食べ、ちょっと焦って夕ご飯を食べ、さらにもうちょっと焦って風呂に入って、あーあと思って寝ました。しかしそうしていると体力が落ちるのはもちろん精神力も思考力もだんだん鈍化していくのを感じたので、やばいと思うともう少し活動しました。元気でいられるならいられるで素直に喜べばいいのに、あー、私は深刻に悩むことも出来ない人間なのかなぁ・・・と鈍化した頭でうじうじ考えていました。
私は将来のこともどうでもいいのか。じゃあ一体、なにがどうでもよくないことなのか?そんなことがあるのか?一生適当に、いいかげんにぼんやり生きられればいいのか…。
今にして思えば、「社会人」に対するそもそもの考え方がよくなかったのかもしれません。私は、どこかで社会人とは夢も希望もないもの、と思っていました。日々淡々とそれなりに、仕方なく、ささやかな自分なりの楽しみを見つけながら、ほどほどに生きていくもの・・・。楽しいはずがない、と思い込んでいたようです。だから本当に、タテマエではなく本気で夢を持って生きるのだということがまずはショックでした。そんな目標と企業を結びつけるということが理解できませんでした。
何についても制限から考え始めたことも大きな間違いだったと思います。思い込みが強かった。例えば、分かりやすい例を取っていえば、将来結婚して子どもを産みたいと考える。そうすると、一箇所にとどまってなくては難しい。それも実家近くが望ましい。仕事は育休は取れるのだろうか?業界を考えるのも同じで金融は私には無理だ、となぜか思っていた。あれはだめ、これもだめ。そういうふうに考えていたら、本当になんかやっぱり人生だるいな、つまらないなと思えてきた。いやだなー・・・。そればかりでした。
多少、脚色めいたものは加えてあるものの、そんな状態を脱出できたきっかけとなるエピソードを一つ。
佐渡合宿に行く途中。以前少し書いたように、東京から鈍行を使って新潟を目指す。群馬県水上駅で1時間の待ち合わせ時間ができて、近くを歩いていた。利根川が流れ、山も迫っている自然豊かな場所で。手に持っていた帽子にやや大きめの虫が止まった。反射的に振り払おうとして、思った。私はいつからそんなに虫が怖くなったんだろう、と。確かに虫が特に好きだったわけではないが、決してここまで怖くはなかった。バッタくらいならつかんでいた。それを思うと虫=きゃっ!怖い!というのは単なる思い込みだと感じられて、そこから脱したくなった。「怖くない怖くない」言い聞かせながら虫をつかんで放した。街の中で見ると虫はまるで「異物」でとにかく見ていたくない存在だが、こういう山なんかにいると虫がいかに当たり前の存在だと感じることができる。そんな環境のせいもあると思うが、「虫は怖くない」は思い込みをやめよう、と思うにいたる重要な経験だった。
それからまた、私はもうこれ以上何も勉強したくない、と思っていた。新しいことを学び続け、ステップアップステップアップ…は無理だ嫌だと思っていた。そんなんで仕事できるか!というツッコミは当然なのですが、とにかく嫌だった。なぜか私の周りには私が院志望だと予想する人が多かったが、とてもとてもそんなに勉強はできない、と思っていた。たしかに一時期院に行くことを考えないでもなかったが、自分は勉強には向いてないと思った。だからこそ就職の道を選んだのだった。その強固な「勉強は嫌」を思い直させてくれたのは、これまた佐渡で出会った新聞社の方だった。
就活中なのですが、と私から話しかけて、マスコミもなかなかいいと思うよという話をしていただいた。そして印象に残っているのはこんな話。「新聞記者はいろんな部署・・・社会欄、経済欄、地方のページ…とあちこち配転する。それはたしかにその度ごとに一からやり直しで大変だけど、異動のたびに新しい大学に入ったと思えばいい。経済部にいったら経済学部に、家庭欄なら家政学部に入ったつもりで勉強する。そう思えば会社のお金でずっといろんな勉強をさせてもらえてお金もらえてラッキーだしとても楽しいもの。」これを聞いたときに私はふいに、ああ、やっぱり学び続けるのっていいな、楽しそうだな、私もそうしたいなと思えた。とても楽になった。どうもありがとうございましたN日報の方。結局おすすめしていただいたマスコミには行きませんが、無事に就職できます。
とりとめもなく続ける。私がこれからの私にとっても大切だと感じたが二つある。
①自分の欲望に素直になること ②手段と目的を取り違えないこと
①について。まずはじめに言っておくが、これはその欲望を達成するために具体的な行動を起こすかどうかとは別問題。ともかくまずは自分が何を求めているのかをはっきり理解し、それを認めること。私はたしかに我がまま放題、好き放題に生きているように思える。人目を気にせず常識を気に留めず、自由に振舞っているように(見る人によっては)見えるだろうと思う。ある意味ではそれはまったくその通りだと思う。私もそうだと思っていた。でも、私は自分に対して正直になれなかったことがあった。私は実は「〜たい」以上に「〜べきだ」を優先させてしまう人間だ。その「〜べきだ」に来る部分がどうやら多少「常識」からはずれているせいで、そうはあまり思われなかったけれども。それどころか「〜べきだ」を「〜たい」にすり替えてしまうこともよくある。「深層心理」と追究してもあまり建設的には思われないが・・・。例えば「私は金融業界に行きたいと思うべきではない」と心の中で思っていたようだ。どうしてかも・・・だいたい分かる。
②実際には①と似ているのかもしれない。私は、ピューリタン的なとでもいうのか、よく分からないが何かとても禁欲的で勤勉な生活や人間に対する憧れがあるようだ。「きちんとしている」「こうあるべき」「正しい」に対する、弱さ。「かくあるべし」に対して私の思考は停止してしまう。でも、それは何のため?何のために?目的を失っての「かくあるべし」はただの教条主義、無駄に苦しいばかりだった。規則正しい生活をしたいのは、気分爽快・健康に毎日を過ごしたいからだ。そして時間を有効に使ってやりたいことがあるからだ。なんのために、を私は簡単に忘れてしまう。そしてそのための手段にすぎないことを、いつのまにか目標と混同してしまう。
そしてどんなときも、これでゴール、もう何も悩まなくていいという時は来ないということ。次から次へとまたこなさなくてはいけないことは山積みになっていく。生きていく限り、ずっともんもんとする・・・それでもなんとかやっていきたい。
それから私は対人関係を重視する人間だということ。それにしてはずいぶん乱暴に生きているじゃないかと言われれば、それもその通り。決して気ぃ使いではないと思う。でも私の喜怒哀楽のもとは人、誰か、あなたです。人のために何かをしようという動機がエネルギー源にもなれるという強みでもあり、人の評価がなければ落ち着かないという弱さでもある。
何日もかけて長々と適当につづってきた最後に(一度、結構長く書いた後に眠ってしまいその分全文消えるという憂き目にもあいましたが・・・)。最後に、日々私の躁鬱混じった意味不明なメールをついぞ受け取り拒否することなく強靭な忍耐力でもって読み続け、常に賢明なアドバイスを返し続けてくれたくれたよのつく人には、心からの尊敬と感謝を表したい。本当にありがとう。この長い就職活動が終わる瞬間に一緒にいられたのは本当に幸運でうれしかった。